【映画】『ブルー・イン・ザ・フェイス』 ウェイン・ワン/ポール・オースター
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酔っぱらって、何軒目かのバーだかカフェについて、もう横にいる人の真剣みたいな話は頭の中に入らないような状態で、うんうん肯いている中、ふとテレビがついているのが気にかかり、そこでは映画が流されているのに気づく。
音量は絞られていてよく聞こえないのだけど、字幕が流れていてなんだかそっちのほうが気になって、ちらりちらりとそちらに意識を集中させてしまう。
あとになって思い返してみると、筋も何も覚えていないその映画の事が気になって、またそのバーに行ってマスターにタイトルを聞いてみたくなるような、そんな映画があるとするなら、『ブルー・イン・ザ・フェイス』という映画がそれです。
「ブルー・イン・ザ・フェイス」とは「顔を真っ青にして」の意味(話の中でもタイトルコールされる)。
意味だけ考えると怖い映画のように思えるかもしれないが、全然そんなことはなくって、ニューヨーク、ブルックリンの街の一角に構えられたタバコ屋兼キオスクでの人々を描いたほのぼの映画です。
冒頭シーン ハーヴェイ・カイテル演じるオーギー・レン
ハーヴェイ・カイテル演じるタバコ屋の主人、オーギー・レンが主人公で、オーギーのもとに、あるいはタバコ屋のもとに人が集まり、またその人たちのもとに誰かが集まっていくそんなエピソードがいくつも描かれる。
映画としての物語性、というのは強く示されないけど、僕らが生きる日常と同じような、「何か問題が起こったり、誰かが表れたりして、それが進んで、いまこうなっています」みたいな流れがある。
特に素晴らしいのは、オーギーがレジに立ち、常連の客たちとボーっとしていると一人のたばこ売りが入ってくるエピソード。
白いスーツに身を包み、サングラスとハットをかぶった黒人が
「いいキューバの葉巻があるんだ・・・」
と売り込んでくる。
そうして男が話し、常連が話し、男の正体が明かされ、みんなで話のかけあいをするシーンがあるのですが、その時のオーギー・レンは男の話を聞いたり、話しかけたり、常連が話すのを聞いたりする。
その時のオーギーの「主人公でなさ」というのがものすごくいい。
「自分の人生の中では自分が主人公」なんていう歌もあるのだけれど、その集まりの中では誰かが主人公というわけではなく、やんややんやと会話が進んでいく。
当然、ぼくらの日常にもありうる風景で、僕たちはそういう時、自分の「主人公でなさ」の中にいるのだと思います。部屋で一人で膝を抱えてうずくまっているときのほうが、自分の主人公感は強かったりする。
でもそういう何でもない会話の空間の中にいることは、あとになって思い返してみてもハッとするものがあったかというとそうでもないし、多くのことは忘れてしまうのだけれどその会話のあった空間が、ふと、なんとは無しに浮かんできて、思わずほくそ笑んでしまったりする。実はそういうものが、日々を過ごすうちの滋養であったりもするのかもしれません。
また物語の中でオーギーのもとに電報が届くシーンも最高です。物語のなかでも重要な場面ですが、ただの電報ではなくて、グラマーなおねえちゃん(マドンナ演)が届ける、「歌う電報」。
こういうのが自分のもとに届くと本当に人生がキリッとしていいなーと思います。
監督の一人であるポール・オースターはアメリカの人気作家で(日本やフランスのほうが特に人気らしいが)、アメリカの、ニューヨークを舞台にした作品をよく書いています。
有名なのは「ニューヨーク三部作」と呼ばれる『鍵のかかった部屋』『幽霊たち』『ガラスの街』や同じくニューヨークを舞台にした一人の若者の青春小説『ムーン・パレス』。どれもニューヨークの街に住むことの、いろんな問題や、いろんなよさや、恐ろしさや、喜びをよく描いていてエンターテイメントとしてもばっちり。あとが気になって眠る時間が惜しくなることうけあいです。
一番最近翻訳された小説『ブルックリン・フォリーズ』はこの映画にも通じるような後味のよさがあって、とても素晴らしいものです。
良い作品というのは、後になって思い返してみて「ああ、よかったなー」としみじみ思い返せるものですが、この映画はそんな素晴らしい映画でした。
itunesでレンタルして、よかったのでアマゾンでポチッとしてしまいました。
届くのがたのしみ。
よければこちらもどうぞ。
- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
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